Pero, sin querer...
ご飯を食べ終えて、パパが席を立とうと椅子を後ろに押したとき、
ちょうどそこを通ったママに椅子がドン。
もぉ~やめてよ、おねがぁ~い。
わぁ~ごめんね、でもわざとじゃないんだよ~
っていう緩い穏やかな感じがものすごくかわいかった。
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この世には、二種類のJICAボランティアがいると思う。
やる気のあるボランティアと、やる気のないボランティア。
まぁそれはいいとして、
技術的アプローチ目線が強いボランティアと、貧困削減アプローチ目線が強いボランティア。
私はワケあって後者なのだけど。まぁ、あまり意味ないよね。
JICAしかもボランティアが関われる範囲なんてせいぜい上の方。
まぁそれも社会開発のためには重要なのだけど。
だけど本気で大事なことは国際機関が政治家にかみついてるだろうし、専門家や開発コンサルが動いてる。
もっとも、私たちに期待されているのはむしろ、この経験を日本の社会に還元することや、受入国との関係維持のためのチョメチョメなんだろうけど。
私がJOCVとしてここにいて日々感じる事の中には、想定通り違和感が多い。
その違和感はきっと正解で不正解だと思ってる。
本当に人の手が必要な層にはタッチできない。
声もきこえない。聞かせてくれない。おかしいでしょ。それ。
でもこれが、お役所の限界。
そこに大切なことがいっぱい隠れているよ。
修論を書くとき、私は質問紙調査を行った。
要はアンケート調査なんだけど、アンケートを作って送って答えてもらう。
私は、それじゃ意味がないと思ったからバングラデシュにいって自分もスラムに入って、開発に興味のある現地学生に通訳頼んで現地語で、一軒に30分以上時間をかけてアンケートを実施し、なぜそう思うのか、なぜそう考えるのか、過去に何があったのか、本当はどうしたいのか、昨日はどうだったか、他の人はどうか、何を言われたのか、、、質問紙上の質問と回答からだけじゃ聞き出せないことを聞いて回った。100軒以上回った。
文献やデータから読み取ることのできない現実は、自分の目で確かめたかった。
「本当にそうなのか」「どうしてそうなのか」
この二つの疑問から新たに知ることができる、これまで知らなかったことは多い。
それを知って、私にいったい何ができたかと問われれば、
私は何もできなかった(これからするけど)。
子どもの遊び道具一つとっても、ドラッグ用の注射器で、
私は何もできなかった(これからするけど)。
叫びたいことがいっぱいある。
かみつきたいことがいっぱいある。
だけど今じゃない。
感覚的にだけど、いま、それがよく分かる。
時じゃない。だからまだ動かない。
バカみたいにいつも通りヘラヘラすることで、したたかにやり過ごす。
でもたまには言葉にして吐かないと、心臓腐りそう。
ロジックと哲学のないビジネス、あるいはプロジェクトには、
業界を変えるほどの成功を手繰り寄せられないと思う。
なーんてね。